わたしの頭の中

考えたこと

2022年3月5日

今日という日を突然つらつら書きたくなった気持ちがあります

 

朝起きてヨーグルトに蜂蜜をかけたかったのに、蜂蜜が切れてて、次の蜂蜜は商店街の物産店で買おうと思ってたから、絶対そうしようと決意した1日の始まり

 

それからシーツを洗濯して、ふわふわがよかったから近くのコインランドリーに行って、待ってる時間で八百屋さんに行った

ヨーグルトに入れるのバナナでもいいなって思ってたからバナナとサンチュと豆苗を買って家に帰って残りの10分で戦争のことを調べた

少し気持ちが沈みながら気づいたら1時間経ってて、慌てて家を出て洗濯物を回収した

 

家に帰ってきて、洗濯を畳みながら、撮り溜めたドラマを観た

泣けないシーンでなんだか泣けて、自分のちょろさに驚きながらも、もっとスッキリしたくて、ホットヨガに行くことにした

ビギナークラスだったのに、ちょっとハードで、先生の言葉がマスクでよくわからなくて、髪留めを持っていき忘れて、それでもリラックスできるんだからヨガはすごい

帰り道に気が大きくなって、コートを脱いで歩いた

 

物産店を通ったら、蜂蜜のことを思い出して、自分は天才だと思いながら、蜂蜜コーナーに行くと、安くても2000円して躊躇した

最近口座残高が気になる年ごろだから、1番高い5000円には手が伸びず、2000円のにした

コンビニのに比べたら十分高かろう

今度は味の違いを試しに、そっち買いに来るからと謎の言い訳を蜂蜜にした

 

そして家に着いて、ドアの鍵を開けて、ドアをふっと開けようとした時に、三日月を発見して

、影になっている月の部分も見えて、写真に撮ってみたら、その影の部分も撮れて、もっと気が大きくなって

お風呂で、以前買ったしんちゃんのマスコットが出てくる入浴剤をおろしちゃうぞと意気込んでる

 

この気持ちです

何でそんなにかわいいの

手のかかる子ほどかわいいってよく言われてるけど、確かにそうだけど

1年半かけて、たくさんたくさん手をかけてきたクラス

わたしが頑張って楽しいことを考えて用意すればするほど

どんどん成長してくれる子どもたち

誰をとってもほんとに愛おしくて

ほんとにかわいくて

たくさんのたくさんの感動をくれて

ほんとにほんとに時が過ぎてしまうのがさみしくなる

冗談じゃなく、全員1番に大切(;_;)

運動会が終わっちゃって

みんなほんとにグンと伸びた

 

友達のいいところも見つけて認め合えるようになったら

違うと思ったことは、泣きながら全身使って全力で主張しあったり

でも最後には

「言い過ぎちゃったのは悪かったよ」

「つぎは優しくいうようにするよ」

って本音を言い合えちゃうんだから

大人でもうらやましくなるくらい

立派な心を持ち始めてるなぁ

 

相手の気持ちを考える力が

これからの社会を生き抜くためには必要だって思っていたけど

間違えじゃないとは思うけど

 

考えなきゃと思って考えるわじゃなくて

自然と相手の思いに目がいくような

気持ちに気づいたら何かしたいなと思うような

心を耕すことが、人格形成の基礎を担う時期、幼児期にとっても大切だよねってみんながいつも教えてくれる

 

 

 

選択肢を広げる

最近本屋でたまたま見つけた「学校に行きたくない君へ」という本を読んだ。

本の中身は本当に素敵な話ばっかりで、今学校に行きたくない人、今までで行かなかったことがあったりする人、行かない子どもに悩む保護者の人とかいろんな人に読んでみてもらいたいなと思う内容だった。

 


この中で、比較的に「学校行かなくて大丈夫だよ」って内容のものが多くて、すごいものでは「学校はもともと軍隊の養成機関だ、「生きる力」「個性を磨く」などといってるが、個性化や多様化という言葉は、昔から政府が人間をより分ける常套手段おして使われて来たんだ」なんていうパンチの効いたものもあったけど、なんだか完全にそんな訳ありませんと言えない自分もいた。

 


ちょっと話はズレるけど、

小学校以降は、道徳の授業で人権感覚とか心の内面を育てる内容が入ってると思うけど、実際自分が小学生の頃は道徳じゃなくて休み時間や放課後の友達とのやり取り、毎日の生活の中での親とのやり取りの中で心を燃やして必死に生きていた気がする。

小中高の先生たちは学級経営はもちろん、教科のこともしなきゃいけなくて本当に大変。それに加えて子どもたちの倫理観はいつ180度変わってしまうかわからない不安定なもので、どんどん知恵をつけて、することを隠す能力を身につけて、教師には見えにくくなって行く。

SNSの普及でより見えないところで、複雑な難しい人間関係だけがぶくぶく膨らむことも問題視されてる、とっても難しい時代。先生たちの仕事量は本当に半端じゃないし、割り切らないとこなせないと思う。

 


最近かかわってる小学校の先生は、「席に座る子、話を聞く子、自分で身の回りのことができる子にして小学校に上げてくれ」と言っていた。

私はこれを聞いて、とっても悲しくなって悔しい気持ちになった。

『子どもたちはこれから始まることに興味をもてたり、前楽しかったって言う経験があれば席に座るし、自分にとって有意義な面白い話だったら聞くし、身の回りのことなんて無論ばっちりできる…

だいたい、授業見に行ったけど、つまらない、無駄な話をずっとしたり、学級の実態に合わせて配慮変えないで、「筆箱は右上に、おはじきは引き出しの下にしまいます」みたいな指示ばっかり出して、問題の中でしか子どもに考えさせず、思考力育ててると勘違いしてる授業してんのはどこのどいつだよ!』と暴言を吐きたくなった笑

幼児教育で最も大切にされてるのは、自分の気持ちを大いに表現すること、相手の気持ち知って折り合いをつけること、周りに対する思いやり、やってみたいと思ったことに挑戦したり、少しの困難でもめげずに試行錯誤したりする意欲、心地よい挨拶をできる力みたいな数値で評価できない心情・意欲・態度と言われてる部分なんだけど、そこの育ちは簡単には測れないものだから、なかなか理解してもらいにくい。まぁ難しくて私も全然育てられてないけど!

 


もちろん、こう言うことを理解してくれている先生もたくさんいるし、沢山の科目を決まった授業数こなして、理解させないといけない小学校以降の教育を幼稚園側も理解して歩み寄るのは必要なことで、努力が足りない部分はたくさんあるなと痛感してるけど、あまりにも考え方の違いを感じてならない。

 


でも、例えば、

"園に来たお客さんに元気に挨拶をする"っていう子どもの姿のうち

大きな声で元気に挨拶しましょうと、言われて繰り返す中でするようになったのと

お客さんに挨拶する理由は、みんなが大好きな園に「ようこそ」の気持ちを伝えるためにあるんだよと、人に挨拶された時の嬉しさを日々味わう中で自分もしたいと思えたのと

子どもの姿は同じだけど、どちらの教育を目指したいかと言われたら、絶対に後者の保育がしたいし、子どもたちの学びはこういう体験を通して深まって行くと思う。

 


話は戻って、生きる力とか個性を磨くとか言葉に解釈の仕方がたくさんある表現だから誤解されやすいなと思ったけど

 


幼稚園では「生きる力の芽生え」を育成することが求められていて、つまり心情意欲態度っていう非認知能力のことになるんだけど、そんなことを毎日考えて動いてたら頭パンクしちゃうから、

してあげられること中で大きな1つが

選択肢を増やしてあげる

ってことだと思う。

 


些細なことから大きなことまで。

保育室に、ペンとクレパスと色鉛筆とポスカが使えるようにするって具体的なことから、トラブルが起きた時絶対に私の考えは先に言わないで出来るだけ多くの人の意見を並べて、その中に自分の意見も入れて、当事者が選ぶとか。

もっと大きなとこでいうと、私自身が今まで会ったことないタイプだわぁって子どもたちが思える存在になりたい。

こんな人もいるんだ、なんでもいいんだ、ありなんだって思えるような存在になりたい。

子どもたちの中で、たくさんあるとパニックになって選べない子もいるからそういう子には選べるギリギリのラインを提示するのを繰り返す中で選択の幅を広げて行く。

自分の中での選択肢の幅が広がって行くことが、いろんなことを受け入れる力につながると思うし、それがさらに学びにつながると思う。

そのことを子ども自身にも、そして卒園した後もずっと見守り続ける保護者にも色んな方法で伝えて行くことができるのは幼児教育だなと身が引き締まる日々ですな。

 


4年目、まだまだ青いな

あー頑張ろう!

納得解

小学校の研究発表で、各科目の答えを算数は正解、国語は最適解、道徳は納得解という表現をすることにしたって言う話を聞いてわぁなるほどなぁにこにことなった。

 

私は小学校のことわからないけど、発表によると近年、道徳の授業が見直されていて、教材を使った道徳の授業をしていたところからプラスして、各科目の中に道徳の要素を入れるようにしているみたい。

 

少し前から、"生きる力"を育むっていうのがスローガンのようになってるけど、この言葉の説明はまぁ色々あるとして笑、普通の人が単純に生きていくために必要な力って言われて、パッと何が浮かぶだろうか

多分、科目で答える人はほとんどいなくて、財力みたいな実用的なことを考えたり、困難を乗り越える力とか精神論的なものを答える人がほとんどじゃないかなって思う。でもっと後に、財力の基礎で数学とか社会みたいに科目が出てくるんじゃないかなと

 

でも本当にみんなが咄嗟に思う生きる力を身につけること、育てることってやっぱりぱっと出る正解がないから、難しくて、ついつい考えてると頭ぐちゃぐちゃになったり、するんだろうなと

それで幼児教育は、この生きる力の基礎を担うということで、心情意欲態度を育てるという、興味関心を色んなことにもてる心を育てることが大きな目標のひとつ

例えば、1から100まで数えられる能力を求めてるんじゃなくて、10までしか数えられない子が30人のクラスで、あれ友達がもっといるな10の先なんて言うんだろ?知りたい!ってなったら、もう大成功で、反対に数字の表見て覚えた子は11の感動には出会えない

これ頭でわかってても本当ぶれるから、ついつい、教えたくなったり、教えたつもりなくても伝わっちゃってたり、だから難しくて、おもしろい

まぁこれは極端な例だけど

 

今までこの教育の答えを表すしっくりくる表現がなくて、悶々としてたんだけど、こういう人間的学びにつながる答えを、納得解としたくなりました

 

もはやこれが私の納得解、あーしっくりきた!