わたしの頭の中

考えたこと

選択肢を広げる

最近本屋でたまたま見つけた「学校に行きたくない君へ」という本を読んだ。

本の中身は本当に素敵な話ばっかりで、今学校に行きたくない人、今までで行かなかったことがあったりする人、行かない子どもに悩む保護者の人とかいろんな人に読んでみてもらいたいなと思う内容だった。

 


この中で、比較的に「学校行かなくて大丈夫だよ」って内容のものが多くて、すごいものでは「学校はもともと軍隊の養成機関だ、「生きる力」「個性を磨く」などといってるが、個性化や多様化という言葉は、昔から政府が人間をより分ける常套手段おして使われて来たんだ」なんていうパンチの効いたものもあったけど、なんだか完全にそんな訳ありませんと言えない自分もいた。

 


ちょっと話はズレるけど、

小学校以降は、道徳の授業で人権感覚とか心の内面を育てる内容が入ってると思うけど、実際自分が小学生の頃は道徳じゃなくて休み時間や放課後の友達とのやり取り、毎日の生活の中での親とのやり取りの中で心を燃やして必死に生きていた気がする。

小中高の先生たちは学級経営はもちろん、教科のこともしなきゃいけなくて本当に大変。それに加えて子どもたちの倫理観はいつ180度変わってしまうかわからない不安定なもので、どんどん知恵をつけて、することを隠す能力を身につけて、教師には見えにくくなって行く。

SNSの普及でより見えないところで、複雑な難しい人間関係だけがぶくぶく膨らむことも問題視されてる、とっても難しい時代。先生たちの仕事量は本当に半端じゃないし、割り切らないとこなせないと思う。

 


最近かかわってる小学校の先生は、「席に座る子、話を聞く子、自分で身の回りのことができる子にして小学校に上げてくれ」と言っていた。

私はこれを聞いて、とっても悲しくなって悔しい気持ちになった。

『子どもたちはこれから始まることに興味をもてたり、前楽しかったって言う経験があれば席に座るし、自分にとって有意義な面白い話だったら聞くし、身の回りのことなんて無論ばっちりできる…

だいたい、授業見に行ったけど、つまらない、無駄な話をずっとしたり、学級の実態に合わせて配慮変えないで、「筆箱は右上に、おはじきは引き出しの下にしまいます」みたいな指示ばっかり出して、問題の中でしか子どもに考えさせず、思考力育ててると勘違いしてる授業してんのはどこのどいつだよ!』と暴言を吐きたくなった笑

幼児教育で最も大切にされてるのは、自分の気持ちを大いに表現すること、相手の気持ち知って折り合いをつけること、周りに対する思いやり、やってみたいと思ったことに挑戦したり、少しの困難でもめげずに試行錯誤したりする意欲、心地よい挨拶をできる力みたいな数値で評価できない心情・意欲・態度と言われてる部分なんだけど、そこの育ちは簡単には測れないものだから、なかなか理解してもらいにくい。まぁ難しくて私も全然育てられてないけど!

 


もちろん、こう言うことを理解してくれている先生もたくさんいるし、沢山の科目を決まった授業数こなして、理解させないといけない小学校以降の教育を幼稚園側も理解して歩み寄るのは必要なことで、努力が足りない部分はたくさんあるなと痛感してるけど、あまりにも考え方の違いを感じてならない。

 


でも、例えば、

"園に来たお客さんに元気に挨拶をする"っていう子どもの姿のうち

大きな声で元気に挨拶しましょうと、言われて繰り返す中でするようになったのと

お客さんに挨拶する理由は、みんなが大好きな園に「ようこそ」の気持ちを伝えるためにあるんだよと、人に挨拶された時の嬉しさを日々味わう中で自分もしたいと思えたのと

子どもの姿は同じだけど、どちらの教育を目指したいかと言われたら、絶対に後者の保育がしたいし、子どもたちの学びはこういう体験を通して深まって行くと思う。

 


話は戻って、生きる力とか個性を磨くとか言葉に解釈の仕方がたくさんある表現だから誤解されやすいなと思ったけど

 


幼稚園では「生きる力の芽生え」を育成することが求められていて、つまり心情意欲態度っていう非認知能力のことになるんだけど、そんなことを毎日考えて動いてたら頭パンクしちゃうから、

してあげられること中で大きな1つが

選択肢を増やしてあげる

ってことだと思う。

 


些細なことから大きなことまで。

保育室に、ペンとクレパスと色鉛筆とポスカが使えるようにするって具体的なことから、トラブルが起きた時絶対に私の考えは先に言わないで出来るだけ多くの人の意見を並べて、その中に自分の意見も入れて、当事者が選ぶとか。

もっと大きなとこでいうと、私自身が今まで会ったことないタイプだわぁって子どもたちが思える存在になりたい。

こんな人もいるんだ、なんでもいいんだ、ありなんだって思えるような存在になりたい。

子どもたちの中で、たくさんあるとパニックになって選べない子もいるからそういう子には選べるギリギリのラインを提示するのを繰り返す中で選択の幅を広げて行く。

自分の中での選択肢の幅が広がって行くことが、いろんなことを受け入れる力につながると思うし、それがさらに学びにつながると思う。

そのことを子ども自身にも、そして卒園した後もずっと見守り続ける保護者にも色んな方法で伝えて行くことができるのは幼児教育だなと身が引き締まる日々ですな。

 


4年目、まだまだ青いな

あー頑張ろう!